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麻雀の考え方

ルールの書き方より、意味を守りたい

ルールの書き方より、意味を守りたい
ニコラスの写真

海外は、ルールの書き方を優先する。日本は、ルールの意味を優先する。

これがたまに、国際大会でトラブルの元になってる。でも、意味さえ持たなければ言葉は何だ?そもそも日本式麻雀やってる以上、長くて細かいルールブックを作るよりも、ルールの意味を守ってほしい。ズルする人は失格でいい。

年末に、こんなことをつぶやきました。(元の投稿では「失格」を「資格」と打ち間違えていて、危うくズルする人に資格をあげてしまうところでした。)

麻雀のルールそのものの話ではなく、ルールとの向き合い方の話です。私はアルゼンチンで麻雀を覚えて、日本に来てからいろいろなことが見えてきました。そのひとつが、ルールに対する考え方の違いです。今回は、その違いについて少し詳しく書いてみます。

書き方を優先する考え方

まず、海外のやり方を悪く言うつもりはありません。書き方を優先するのには、ちゃんとした理由があります。

国際大会には、いろんな国から、いろんなルールで麻雀を覚えた人が集まります。中国式の麻雀で育った人、ヨーロッパのルールでリーチ麻雀を打ってきた人、ネット麻雀しか知らない人。そういう場では「言わなくても分かるでしょう」が通じません。ある国では当たり前のことが、別の国ではまったく当たり前ではないからです。

だから、きちんと文章にします。審判が判断に迷わないように、誰が読んでも同じ意味になるように書きます。これは、育った環境の違う人たちが同じ卓を囲むための、とても誠実なやり方だと思います。

意味を優先する考え方

一方、日本の麻雀では、ルールの文言よりも「なぜそのルールがあるのか」が大事にされます。

たとえば先ヅモです。上家の打牌が終わる前に自分の牌をツモってはいけない、ということは多くのルールに書いてあります。でも、日本の雀士がこれを守っているのは、書いてあるからというより、鳴く権利のある人の邪魔をしない、相手に余計なプレッシャーをかけない、という意味を分かっているからだと思います。

「腰を使う」も同じです。鳴くつもりがないのに、鳴くような素振りを見せて相手を惑わせる行為ですが、これを文章だけで完璧に禁止するのはとても難しいです。何秒止まったらアウトなのか、手が少し動いたらアウトなのか。書こうとすればするほど細かくなって、それでも抜け道は残ります。日本では「相手を惑わせるためにやってはいけない」という意味が共有されているので、細かい条文がなくても、おおむね成り立っているのだと思います。

書き切れないもの

ここで、架空の例をひとつ考えてみます。

「制限時間を過ぎたら、そのとき打っている局を最後に終了する」というルールの大会があったとします。長考を禁止する条文はありません。トップ目の人が残り時間を見ながら、毎巡わざとゆっくり打ちます。そうすれば、次の局が始まる前に時間切れになり、追いかける側の逆転のチャンスを減らすことができます。

書き方を優先すると、「長考してはいけないとは書いていない」ので、反則ではないことになります。意味を優先すると、制限時間は試合を予定どおりに終えるためのもので、勝つための道具ではありません。ですから、明らかにアウトです。

もちろん「1打あたり何秒以内」と書き足すことはできます。でも、そうすると今度は、本当に難しい局面でしっかり考えたい人が困ります。そして、また別の抜け道を探す人が出てきます。ルールブックは長くなる一方で、いたちごっこが続いてしまいます。

ゲームの姿を守ること

英語でいうと、「the spirit of the rules」(ルールの精神)と「the letter of the rules」(ルールの文言)の違いです。要するに、スポーツマンシップの話だと思っています。

私は、相手のうっかりしたミスで勝ちたくありません。自分の力で勝ちたいので、自分が損をすることになっても、気づいたミスは訂正します。たとえば、子の相手が私からロンして、30符4翻の手を3翻と数え間違え、「3900」と申告したとします。そのときは「7700です」と伝えます。払う点数は増えますが、勝ち負けは腕で決まるものだと思うからです。

そして、ルールの穴を探して勝とうとする人、つまりズルをする人は、正直に言って失格でいいと思っています。文言を守っていても、意味を踏みにじっていれば、それは麻雀で勝ったとは言えないからです。

二つの文化のあいだで

とはいえ、日本のやり方が完璧というわけでもありません。「意味を分かってほしい」というのは、その意味をすでに知っている人の言葉です。日本の麻雀を初めて打つ海外の人には、暗黙の了解は見えません。見えないものを守れと言われても困ってしまいます。

だから、日本側にも、ルールの意味を言葉にして伝える努力が必要だと思います。なぜ先ヅモをしてはいけないのか、なぜ発声をはっきりしなければならないのか。条文を増やすよりも、理由を説明するほうが、ずっと伝わるはずです。

私が麻雀を好きな理由のひとつは、こういう融合のようなところです。日本で育ったリーチ麻雀を、いろんな国の人が打っていて、二つの文化がお互いに少しずつ譲り合っています。そのうえで、日本式の麻雀を打つ以上は、海外の人にも日本の考え方や意識をもっと見習ってほしいと思っています。

世界中の人が、同じ卓で気持ちよく競技できるように。長いルールブックより、ルールの意味をみんなで守っていけたらうれしいです。


2018年12月29日の投稿をもとに、加筆してまとめました。(元の投稿)


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