麻雀で勝ち出したら、あんまり喜ばないようにする。不調に入った時は倍ぐらい痛くなるから。
ただ、人生も同じ考え方になってしまった。一番幸せな時は、あんまり他人に言わないようにする。「いつか、不調が来るから」と勝手に思い込んで…
ずっと不調を怯えて生きていきたくないから割り切ろう。
麻雀を打っていると、どうしても好調と不調の波を感じます。今日はその波との付き合い方と、それが麻雀の外にまで広がっていたことについて、少し書いてみます。
勝ち出したときに喜ばない理由
麻雀は、実力だけでは結果が決まらないゲームです。どれだけ上手な人でも短い期間なら負け続けることがありますし、始めたばかりの人がトップを連発することもあります。好調はいつか終わりますし、不調もいつか終わります。
私は、勝ち出したときにあまり喜ばないようにしています。理由は単純で、好調のときに舞い上がっていると、その後に不調が来たときの落差が大きくなるからです。感覚としては、倍ぐらい痛く感じます。
もうひとつ、好調のときに浮かれると、打ち方が崩れやすいという問題もあります。たとえば、親リーチを受けて自分の手がまだイーシャンテンなのに、「今日はついているから大丈夫だろう」と無筋を押してしまう。こういう判断は、好調のときほど出やすいものです。結果的に通ることもありますが、それで正しかったことにはなりません。
勝っているときも負けているときも、同じ基準で押し引きを判断する。そのためには、気持ちをある程度フラットに保っておくほうがいいと考えています。
喜んでもいい、ただ調子に乗らない
とはいえ、勝ってうれしくないわけがありません。人間ですから、心の中ではちゃんと喜んでいます。悔しがっている相手の前で大きく喜ぶのは気が引けますが、うれしい気持ちそのものを否定する必要はないと思っています。
大事なのは、喜ぶことではなく、調子に乗らないことです。勝ったことを「自分の実力が急に上がった」と勘違いしなければ、それで十分です。
逆に、自分が負けて悔しいときは、その分だれかが勝って喜んでいます。そういうときは、相手と一緒に喜んであげたいと思っています。相手と一緒に喜べる人はなかなかいませんが、私はその少ない側にいたいのです。それができると、悔しさが喜びに変わることもあります。
フリーには負けるつもりで行く
私はフリー雀荘に行くとき、毎回負けるつもりで行っています。勝てたらうれしいですし、負けても「勉強のために負けに行ったのだから」と納得できます。
ちなみに、「今日は負けたくないな」と思う日は、そもそもフリーに行きません。
最初から結果に期待しすぎないことで、勝ちにも負けにも振り回されにくくなります。これは、私なりの好調と不調への備え方です。
人生にも同じ考え方をしていた
ここまでは麻雀の話ですが、ふと気づいたことがあります。同じ考え方を、人生にまで当てはめてしまっていたのです。
一番幸せなときほど、あまり他人に言わないようにしていました。「いつか不調が来るから」と、だれに言われたわけでもないのに勝手に思い込んでいました。
麻雀なら、好調のときに気持ちを抑えるのは、次に来る不調への備えになります。でも人生では、うれしいことがあるたびに次の不調を心配して、素直に喜ぶことを後回しにしていたように思います。
割り切ることにしました
そう気づいて、割り切ろうと決めました。ずっと不調におびえながら生きていきたくはないからです。
不調は、来るときは来ます。おびえていても来ますし、おびえていなくても来ます。それなら、うれしいときくらいは素直に喜んで、周りの人にもその気持ちを分けたほうがいいはずです。
麻雀では、これからも勝ち出したときに浮かれすぎないようにします。押し引きの基準を崩さないために、それは必要なことだと思っています。ただ、その考え方を麻雀の外にまで持ち出すのは、もうやめにします。
おわりに
好調と不調の波は、麻雀にも人生にもあります。卓の上では浮かれすぎないように気をつけつつ、卓の外では、うれしいことを素直に喜べるようにしたいです。しばらくは、そのバランスを探してみようと思います。
2019年1月31日の投稿をもとに、加筆してまとめました。(元の投稿)



