麻雀は、たとえどんな理不尽なことがあっても、ツモられたらもう支払うしかない。相手はどんな手順をしたって、自分がどんだけ頑張ったって、何も関係ない。言い訳しないで支払うだけだ。
なのに、なぜ人生で、「頑張ったから勘弁してください!」なんて言える人がいる?さっさと罰を受け、次局へ進もう!
今日、こんなことをつぶやきました。少しきつい言い方に聞こえたかもしれないので、もう少しやわらかく、考えていることを書いてみます。
点棒は待ってくれない
麻雀では、誰かがツモアガリをしたら、ほかの3人は点数を支払います。そこに交渉の余地はありません。
たとえば、自分が親のときに子が満貫をツモると、2000・4000で、親の私は4000点を払うことになります。いわゆる親かぶりです。こちらがきれいな一向聴で、あと一枚で好形の聴牌というところだったとしても、関係ありません。
相手の手順が少し不思議に見えることもあります。「その牌をそこで残すの?」と思った相手が、残した牌のおかげでアガることもあります。それでも、点棒を払う手は止まりません。卓の上で起きたことは、起きたこととして受け入れるしかないのです。
これは冷たいルールに見えますが、私はむしろ公平だと思っています。誰に対しても同じように適用されますし、この局で払う側でも、次の局では受け取る側になれるかもしれません。
頑張ったことと、結果は別のもの
誤解してほしくないのは、頑張ることに意味がないと言いたいわけではない、ということです。丁寧に牌を見て、押し引きを考えて、最善だと思う一打を選ぶ。その積み重ねが、長い目で見れば成績になります。
ただ、それは一局の結果を変える理由にはなりません。「この局はすごく考えて打ったので、半分だけ払います」と言う人は、麻雀の卓にはいません。
人生でも同じではないかと思います。約束に遅れたとき、何かでミスをしたとき、「でも、こんなに頑張ったんです」と言いたくなる気持ちはよく分かります。努力を見てほしいというのは、自然な気持ちです。
それでも、まずは結果を受け止めて、謝るべきところは謝る。努力の話は、そのあとで十分だと思います。順番が逆になると、どうしても言い訳に聞こえてしまいます。
言い訳と反省は違う
言い訳をしないというのは、何も考えないということではありません。
麻雀なら、対局中はさっと支払って次の局に集中し、反省は対局が終わってからします。牌譜を見直して、「あの押しは正しかったのか」「どこかで回れなかったか」を考えるのです。そうして見直してみると、ツモられたのが単なる不運だった局もあれば、自分の判断に改善できる点があった局もあります。
言い訳は罰を軽くしてもらうためのもので、反省は次に同じ失敗をしないためのものです。似ているようで、向いている方向がまったく違います。
そのあと、いただいた返信に答えるかたちで、世の中は何億人もの人がつくり上げた結果なのだから、「はい」と支払って、次にアガれるように頑張りましょう、という話もしました。自分の手牌は自分で決められますが、山に何が眠っているか、ほかの3人が何をするかは決められません。人生も、自分だけで回っているわけではありません。
次局へ進むために
ツモられたあと、気持ちを切り替えるためのコツを、いくつか挙げてみます。
- 点棒は、ため息をつかずにすっと払う
- 次の配牌を見る前に、点数状況だけ確認する
- その局の反省は、対局が終わってからまとめてする
- 「さっきの局」ではなく「この局」の最善を考える
特に最後のものは、言うのは簡単ですが、実際には難しいです。大きなツモを食らった直後は、取り返そうとして無理な押しをしたくなります。でも、前の局の点数は、もう払ってしまったものです。次の局で考えるべきなのは、次の局のことだけです。
おわりに
その返信の中では、自分の失敗を認めずに生きている人には麻雀を教えたいな、と冗談まじりに書きました。
麻雀は、理不尽を受け入れる練習を、毎局させてくれるゲームです。ツモられたら、「はい」と払って、次局へ進みましょう。
2019年2月5日の投稿をもとに、加筆してまとめました。(元の投稿)



