デジタルかオカルトか。日本の麻雀ファンなら、一度は耳にしたことのある議論だと思います。
じつはこの話題、海外の雀士のあいだでもよく取り上げられます。ネット麻雀の普及で、日本だけでなく英語圏でもデータを集めて分析する人が一気に増えました。天鳳の牌譜をもとにした数字も英語で読めるようになり、「日本のプロは数字を全部覚えて打っているのか、それとも感覚で打っているのか」という疑問を持つ人も少なくありません。
「確率」と「統計」は別もの
まず、ひと口に「データ」と言っても、大きく2種類あると私は考えています。
- 確率:数学だけで決まるもの。たとえば麻雀牌は34種類、各4枚で136枚です。そこから1枚を引いたとき、それが特定の種類の牌である確率は4/136、つまり34分の1です。これは誰が打っても変わりません。
- 統計:実際の対局を集計して出た数字。何巡目のリャンメン待ちが何%アガれるか、何巡目に他家がテンパイしている割合はどのくらいか、といったものです。とても役に立ちますが、いつでも信頼できるとは限りません。
前者は疑う必要がありません。問題になるのは、後者をどこまで信じるかです。
プロはデータで打っているのか
私の答えは「イエスでもあり、ノーでもある」です。
確率がゼロのことに賭けるのは、いつだって間違いです。数字を無視していいわけではありません。
ただ、経験を積んだ打ち手は、卓の上の状況からさまざまな情報を読み取っています。待ちの傾向、テンパイ気配、その人の打ち方のクセ。こうしたものは、純粋な計算ではとらえきれません。相手が読めたあとは、表の数字は二の次になります。
今の強い打ち手の多くは、データだけでなく、その場の空気やクセといった卓上の情報も大きく取り入れる、いわば「人間的」な打ち方をしているように見えます。ポーカーのプレイヤーが昔からやっているように、その場の判断でブラフを打つこともあります。
データや統計の役割は、ほかの条件がすべて同じときに、安定した「標準的な選択」を示してくれることだと思います。
一部には「すべての打牌の期待値を計算すれば、唯一の正解が出る」と言う人もいます。期待値は打牌を決めるうえでとても大切な要素ですが、それだけではありません。対局の途中では正確に測れない要素がほかにもあることを、長い経験が教えてくれます。
ホンイツ読みで考えてみる
たとえば、こんな場面を考えてみてください。
2段目で、同じ色の仕掛けが2つ入っている人がいます。この人がホンイツでテンパイしている確率は?
これだけなら、どこかに統計の表があるかもしれません。でも、実際の卓にはもっと多くの情報があります。
- 最後の仕掛けのあとに、手出しが4回入っている
- 序盤に、ドラ絡みのリャンメンを切っている
- その人が、3900点に届かない手ではあまり2つ鳴かないタイプだと知っている
- 右利きで、手牌の右端からばかり切っている
- 役牌を切る前に、毎回少し迷う(あるいはまったく迷わない)
- 切った役牌が4枚目なのか、生牌なのか
- 上家がその色の牌を切るたびに、一瞬反応している
ここまで来ると、もとの数字は大きく動くはずです。しかも、どの牌を鳴いたか、鳴かなかったか、河がどう並んでいるかには、まだ触れてもいません。
このような情報をすべて組み合わせたデータは存在しませんし、仮にあったとしても、全部覚えることはできません。ひとつの局には、打ち手が処理しきれないほどの情報が詰まっています。
だからこそ、その情報から自分で結論を出すか、それとも決まった数字に頼るかを、その都度選ぶことになります。
経験が浅いうちは、確かなデータに頼ったほうがいいと私は思います。数字どおりに打てば取りこぼすアガリもありますが、間違った読みで自分から負けを増やすことはありません。
データの出どころに気をつける
英語圏で出回っている統計の多くは、天鳳の鳳凰卓の牌譜から作られています。鳳凰卓は天鳳のなかでもごく一部の、守備のしっかりした打ち手が集まる場所です。
街の雀荘やサークル、大会で同じ卓に座る相手は、鳳凰卓ほど守備的ではないことが多いですし、ルールが違えば打ち方も変わります。天鳳では先切りやベタオリをよく見かけますが、ほかの場ではそうとも限りません。
赤ドラの有無や、一発・裏ドラがあるかどうか、順位ウマの大きさによっても、統計の数字は変わります。データを使うなら、自分が打っているルールに近いものを選ぶことが大切です。
英語の記事では、アサピンこと朝倉康心さんの「麻雀の判断にはグレーな部分が多く、強い人はその濃淡を見分けるのがうまい」という趣旨の言葉も紹介しました。
数字から離れてよいとき
ほかに判断材料がないときは、データと統計を最優先にするべきです。リャンメン待ちのツモ率や一発の頻度など、基本的な数字は覚えておいて損はありません。期待しすぎないための目安にもなります。英語圏では、Amberさんのブログ「Path of Houou」が、鳳凰卓の牌譜から待ちの形ごとのアガリ率などを公開しています。
そのうえで、強くなって信頼できる情報が読めるようになれば、数字を曲げてもいいと私は考えています。統計から外れることは間違いではなく、経験を積んだ人に与えられる特権のようなものです(英語の記事では、この話を映画『マトリックス』になぞらえて書きました)。
私がアシスタントをさせていただいている教室の土田浩翔先生は、その好例だと思います。独特の打ち方で知られていますが、確率や統計を深く理解したうえで、何かをつかんだときにはあえて数字から離れます。
ピカソの言葉とされる「プロのようにルールを学び、芸術家のようにそれを壊せ」は、麻雀にもそのまま当てはまると思います。
おわりに
データか感覚か、どちらかを選ぶ必要はありません。最初はデータを土台にして、経験とともに少しずつ自分の読みを混ぜていく。その配分を探し続けることが、麻雀の面白さのひとつだと私は思っています。
この記事は、英語圏の雀士向けに npmahjong.com で書いた「Mahjong statistics vs Japanese riichi players: who's right?」を、日本の読者向けに書き直したものです。(元の記事(英語))



