僕の価値観だけなんですが、麻雀の普及のための努力がゼロに近いプロって、麻雀が強くても意味がないんだよ。自己満足なら良いが、他にも自己満足できるような分野がきっといっぱいあるでしょう。だから、麻雀が強くて、なおかつ麻雀を良いイメージで普及させてるプロとアマチュアをすごく尊敬しています。
最初にお断りしておくと、これはあくまで私の価値観です。誰かを名指しで批判したいわけではありません。ずっと前から思っていたことで、どう言えば角が立たないか、丁寧な言い方を探していた考えでもあります。
強さは何のためにあるのか
麻雀で強くなるのは、とても楽しいことです。牌効率を覚え、押し引きの判断が少しずつ正確になり、昨日まで見えなかった待ちが見えるようになる。その喜びは、麻雀を打つ人ならきっと誰でも知っていると思います。
ただ、その強さを何に使うのか、とは考えてしまいます。
たとえば「観ている人を楽しませるために強くなりたい」という目的なら、私は大賛成です。強い人の対局を観て麻雀を好きになる人は、たくさんいます。それは立派な普及です。
一方で、どうしても苦手なのが、強さを自慢するためだけの「お前より強い」という態度です。自分が満足するためだけの強さなら、麻雀でなくても、ほかにいろんな分野があると思います。せっかく麻雀という素晴らしいゲームで強くなったのなら、その強さを麻雀に返してほしい、というのが私の願いです。
4人そろわないと打てないゲーム
麻雀は、相手が3人集まらないと打てないゲームです。将棋や囲碁なら相手は1人で済みますが、麻雀は自分以外に3人が必要です。
つまり、麻雀を打つ人が減れば、どれだけ強くても打つ場所がなくなっていきます。麻雀の楽しさを誰かに伝えることは、自分がこれからも麻雀を打ち続けるためにも必要なことだと思います。
普及といっても、大げさなことでなくてかまいません。たとえば、こんなことでも十分です。
- 麻雀教室で教える
- ブログやSNSで、麻雀の面白さを書く
- 麻雀を知らない友達を、一度だけ卓に誘ってみる
- 初心者と打つときに、点数計算をゆっくり手伝う
ほんの少しでいいので、このゲームの楽しさを共有してほしいと思っています。
そして、同じくらい大事なのが「良いイメージで」という部分です。牌を強く叩きつけない、負けても相手のせいにしない。そうした小さな振る舞いが、初めて卓についた人の「また打ちたい」につながります。麻雀にまだ古いイメージを持っている人もいるからこそ、卓での振る舞いひとつが、そのまま普及にもなります。
私がどれくらい麻雀を好きか
冒頭の投稿と同じ日に、もうひとつ投稿をしました。
「どれくらい麻雀が好き?」アルゼンチン人と毎週末14時間手積みで打ってましたほど。もっと麻雀を打つために日本に引っ越して来たほど。雀荘メンバーの12時間シフトを入れながら、英語やスペイン語で本を訳したり書いたりしたほど。棚は麻雀本だらけになったほど。他人に何言われても、ずっと打ち続けるほどです。
アルゼンチン人の仲間と、毎週末14時間も手積みで打っていました。手積みなので、牌を混ぜるのも山を積むのも全部自分たちの手です。それを毎週末、14時間です。
もっと麻雀を打ちたくて、日本に来ました。雀荘のメンバーとして12時間のシフトに入りながら、英語やスペイン語で麻雀の本を訳したり書いたりしてきました。気がつけば、棚は麻雀本だらけです。
周りから何を言われても、私はずっと打ち続けます。
好きだから、広めたい
冒頭の考えと、この「好き」は、私の中ではひとつにつながっています。
英語やスペイン語で麻雀の本を訳したり書いたりすることも、普及のひとつの形だと思っています。日本には素晴らしい麻雀の本がたくさんありますが、日本語が読めない人には届きません。言葉の壁を少しでも低くできれば、海の向こうで卓を囲む人が増えるかもしれません。かつての私たちのように、手積みで卓を囲んでいる人は世界中にいるはずです。
だから私は、麻雀が強くて、なおかつ麻雀を良いイメージで広めているプロとアマチュアを、心から尊敬しています。強さと普及は、どちらかを選ぶものではありません。強い人が楽しそうに麻雀を伝えてくれると、それだけで説得力がまったく違います。
私自身はまだまだ強さも足りませんし、普及といってもできることは小さいです。それでも、麻雀を好きな気持ちだけは誰にも負けないつもりなので、少しずつでも、このゲームの楽しさを伝えていきたいと思います。
2017年12月26日の投稿をもとに、加筆してまとめました。(元の投稿)



