「僕ならこうする」
麻雀を教えるとき、「○○を切らなければならない」などは絶対に口にしない。AIですら絶対の正解は出せていないし、そもそも何を目指すかで選択は変わる。
トップを取りたいのか。役満を和了ってみたいのか。段位を上げたいのか。ラスを避けたいのか。
だから伝えるのは、「僕ならこれを選ぶ。その理由はこう。ただし、他にも選択肢はある」というところまで。理由を理解した上で、自分で考え、自分で選んでほしい。
人生も同じ。価値観を押しつけるのではなく、あくまで「僕だったら、こうする」、と。僕ならこうします。
私は2017年から、大阪で開かれている土田浩翔先生のプレミアム健康麻雀教室で、アシスタント講師をさせていただいています。麻雀を教えていると、何を切るかという話は避けて通れません。そこで私が心がけているのが「僕ならこうする」という伝え方です。
AIにも絶対の正解はない
最近は麻雀AIがとても強くなり、牌譜を読み込めば、一打ごとにAIの評価を見ることができます。勉強の道具として、本当に便利な時代になりました。
ただ、AIの評価をよく見ると、複数の打牌の差がほんのわずかしかない場面がたくさんあります。そして、その評価自体も、決まったルールや順位点の中で「平均的にいちばん得をする打牌」を計算したものです。卓に座っている人が何を求めているかまでは、AIは知りません。
AIですら「これ以外はありえない」とは言い切れないのに、人間の私が「これを切らなければならない」と断言するのは、少し違うと思っています。
何を目指すかで、選択は変わる
麻雀の選択は、その人が何を目指しているかで変わります。
- トップを取りたい
- 一度でいいから役満を和了ってみたい
- 段位を上げたい
- とにかくラスを避けたい
たとえば、配牌と最初のツモを合わせて、么九牌が9種類あったとします。九種九牌が認められているルールなら、段位を上げたい人は流して次の局に進むのが堅実な選択でしょう。でも「一度でいいから役満を和了ってみたい」という人にとっては、流さずに国士無双を目指すのがいちばん楽しい選択かもしれません。どちらかが間違いというわけではありません。
オーラスも同じです。たとえば、自分が子の3着目で、ラス目とは僅差、満貫を和了ればトップに届く点差だとします。ラスを避けたいなら、安くても早い和了りで逃げ切るのが現実的な選択です。トップを取りたいなら、多少遅くなっても満貫を作りにいく価値があります。同じ手牌、同じ点数状況でも、目的が違えば答えも変わります。
伝えるのは「選択」と「理由」まで
だから教室では、「僕ならこれを選びます。理由はこうです。ただ、ほかにもこういう選択肢がありますよ」というところまでを伝えるようにしています。
いちばん大事なのは、真ん中の「理由」です。
何を切るかだけを覚えても、少し形が変わればもう使えません。でも「なぜそれを選ぶのか」が分かれば、初めて見る手牌でも自分で考えることができます。受け入れの枚数なのか、打点なのか、安全度なのか、点数状況なのか。理由が分かれば、ほかの選択肢の良さも見えてきます。
そして最後は、本人に選んでもらいます。自分で考えて、自分で選んだ一打なら、その結果が良くても悪くても、次につながる経験になります。人から言われた通りに切って放銃したときより、ずっと納得できるはずです。
教えながら学ぶ
アシスタントを始めたころから、土田先生からは、初めて聞く話がたくさんありました。
麻雀には、同じ局面を見ても人によって違う景色が見えるところがあります。だからこそ、私の答えはあくまで「私の答え」です。
人生も同じ
これは麻雀に限った話ではないと思っています。
人に何かを伝えるとき、自分の価値観を押しつけるのは簡単です。でも、相手が目指しているものは、自分と同じとは限りません。
だから私は、これからも「僕だったら、こうする」と伝えて、あとは相手に選んでもらいたいと思います。
私なら、こうします。
2026年7月17日の投稿をもとに、加筆してまとめました。(元の投稿)



